Playing!・3
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★★★ 鏡に映った自分の姿を見た感想はズバリ「面白い」であった。 ピンク色のナース服。短いスカートや袖から覗く手足は紛れもなく男の もので、顔だって声だって男である。ただ服だけが可愛らしく、見れば見るほど滑稽だ。それでも羞恥心は涌いてこなかった。 まるで他人を俯瞰するかのごとく、魔地は冷静な心持ちである。 結局、自分はそういうことに摩耗させるような誇りを持ち合わせていないのだ。 貴さと凛々しさ。10代の頃の自分が何よりも大切にしていた感情は、それこそ10代の頃に亡くしてしまった。最も重要なことは、この世で一番大切なモノを守り抜くために誇り高くあることで、それに追従しない出来事は全て(自分に降りかかった火の粉であっても)絵空事である。 冷めきった感情。胸の奥までが冷えている。けれど、それは魔地が大人に なったからでは決してない。 「あはーん、ナースな魔地さま参上!!」 魔地が試着ルームから颯爽と出ると、他の3人は既に着替えを終えていた。 クマたんなヤッタラン、学ランのハーロック。そして、憮然として腕を組んでいるセーラー服の大山敏郎。 「……以外と似合ってるじゃん」 近くに寄って褒めてやる。一度腹を括ればとことんこだわるタイプなのだろう。そこそこの着こなしだ。 「………ふん。てめぇも似合ってるな。白衣の天使への転職をお薦めするぜ。 機関長」 敏郎は懸命に耐えているようだった。平静を装っていても拳が震えている。 男の誇りを賭けた“戦い”である以上、絶対に「負けた」と言いたくないのであろう。 たかだか身内での遊興だというのに生真面目なことだ。そして、そんな未熟な自尊心こそが若者を前へ前へと推し進めるのだ。魔地は敏郎のそんなところが気に入っている。彼の瞳には紛れもない高い矜持が宿っている。 魔地はひひひと下品に笑う。 「お前も学園天国逝ってこいよ。きっと大歓迎だぜセーラー戦士」 「月に変わっておしおきよーん」 半ば自棄になっての一回転。紺色の襞スカートがひらりと翻った。 白いシャツ、赤いリボンがワンポイントのセーラー服。トレビアン、と何故かフランス語で魔地は己のセンスに感嘆した。 元々痩躯な敏郎である。少々ガニ股で猫背気味ではあるが、丸顔と中途半端な長さの髪も手伝って、まぁ似合っていないこともない。魔地と体格は似ているのに、それほど滑稽な姿に見えないのは、恐らく彼がまだ未成熟な青年だからであろう。敏郎は肉体の発育が精神の成長と反比例している。 「可愛いな」と、ハーロックが目を細めた。──滑稽じゃねぇが、別に可愛くもねぇだろうよ、と魔地は思うのだが、水を差すのも悪い気がしたので沈黙した。 「似合うなトチロー。やっぱりトチローにはクマたんかセーラーしかないと 思ってたぞ、俺は」 ハーロックの学ラン姿も堂に入っている。やはり八頭身は何を着ていても八頭身なのだ。長い手足、整った顔そのものが何よりの装飾なのだ。憮然としている敏郎を抱え、八頭身の学ラン男は大喜びで艦橋を跳ねる。 「可愛い可愛い。小っちゃくてひらひら。可愛いなぁ。全然恥ずかしくないぞ。 でもクマでも良かったぞトチロー」 「クマたんはワイやねん。残念やねんか」 一方で、あれほど勝負を拒んでいたヤッタランはあくまでクールだ。賞金の3億がかかっているからか、そもそも肚を括っているからか。作りかけのプラモを不器用に箱から出しながら、彼はハーロックを見上げる。ハーロックは敏郎を抱えたまま、にっこりとした。 「勿論ヤッタランも可愛いさ。どっちかなんて選べないくらい。ヤッタランも 抱っこするか?」 「いらんわい。魔地、3億はワイのモンやろか」 「っていうか、俺も全然平気だしな。ハーロックも平気だろ。なぁ、敏郎?」 凝っと3人の視線が敏郎に集中する。ハーロックの腕からすとんと降りて、セーラー服のサムライは口をへの字に結びつける。 「ふ、ふん。俺も全ッ然! 恥ずかしくないな。そもそも大山家のモットーは よく食べよく遊びよく学べで──」 本当に負けず嫌いな男である。こうなると苛めたいなぁ、と魔地は思う。要するに魔地は加虐趣味で、敏郎は被虐体質なのだ。 「ハァィ、トチ子ちゃんですぅって言ってみろや。棒読み不可。あくまで情感 深く可愛くな」 「なッ──!!」 途端に敏郎の頬が紅潮した。魔地は「いひひひひ」と更に下品な笑い声を上げた。敏郎の目が親友を見上げる。──珍しく、本気で助けを求めているのだ。 「は、ハーロック」 「ん、風呂で背中の洗いっこするか?」 170センチの艦長は屈託無く小さな親友のために腰を折る。その眼差しは小さな親友への慈愛に満ちている。悪意は一切見られない。真実、ハーロックはこの小さな親友を心から愛し、慈しむことを惜しまないのだろう。ヤッタランの小さな溜息が聞こえた。──悪意の無いことは、イコール善意に満ちているわけではない。 「………断る!!」 案の定、敏郎は友人の眼差しから逃れるようにそっぽを向いた。「えー」と、ハーロックは惜しそうに眉根を寄せる。 「でもトチロー、臭いよ。お前、ちょっと臭うし。風呂に入れよ。恥ずかしく ないってば。男でも臭かったら風呂に入るだろ。エメラルダスだって呆れる ぞ」 「男が風呂に入らんくらいで厭うような女なら、こっちから願い下げだ」 「あはは、そんな意地張って。それじゃあ、一緒にお風呂に入ろうな」 ハーロックは軽々と敏郎をつまみ上げる。「嫌だ嫌だ」と敏郎は子供のように 抗った。細い足がばたばたと動くたびに、スカートの裾から縦縞トランクスが 見える。色気が無い。 「風呂は嫌いだ。風呂は嫌だ。こんな髭ナースに負けるのも嫌だ!」 「じゃあ可愛く「トチ子ちゃんですぅ」って」 「魔地! じゃあてめぇも言えよな「マチ子ちゃんです、検温しちゃうゾ」 って!!」 ハーロックによじ登り、敏郎は魔地を指差してくる。魔地は「ふふん」と腕を 組んだ。 「あぁ、良いぜ。はぁいワタシ、マチ子ちゃんです、みんな纏めて検温しちゃ うぞー」 衣装セットについていた巨大体温計を一振りしてポージング。 ピンク色のナース服。片足を軽く上げてウインクをする。──我ながら可愛らしく決まったものだ。 「うぇ」とハーロックが舌を出す。 「魔地……可愛くない……」 「別に可愛さ競ってンじゃねぇだろうに。はい、俺はクリアしたぞ。 敏郎もやれよ」 「う──……」 「やらなきゃ負けだぞ。ほれほれ、良いのか負け。好きなのか、負け」 「ううぅ」 「お前ハーロックとも勝負してンだろ。俺に負けるってことはハーロックにも 負けるってこった。風呂入るのか? 2人でさ」 「俺はそれでも良いけどね、トチロー。背中の流しっこしような」 ハーロックがどさくさに紛れて頬ずりする。彼の頭の中は既に風呂のことでいっぱいなのだ。 「うぅぅううぅう」 敏郎の顔色がくるくると変わる。赤から青へ。一端白くなってから憤怒の紅へ。 「ほれほれ言えよ。言っちゃえよ敏郎」 「言わなくても良いんだぞトチロー。ヤッタラン、風呂の準備して」 「ワイは今とても忙しいねん」 「クワーッ! トチロー、フロスキカー?」 がやがやがやがや。皆が皆で好き勝手に口を開く。敏郎の感情レベルが瞬く間に『怒』の方向に傾いていくのを、魔地はしっかりと見て取った。感情を殆ど揺らすことのない叡智の使徒。──彼の怒りが見てみたい。もはや勝負を忘れ、 魔地はもう少し敏郎を挑発してみようと語彙を探す。 一方、風呂だの何だのと耳元で喚かれている敏郎は、既に限界に達していた。 「てッ……てめぇら黙って聞いてりゃ言いたい放題好き放題──!!!」 ずどぉぉぉぉぉぉぉん……──! 艦内に衝撃音が響き渡った。と、同時に傾く船体。ぎぎぎぃ、と不自然に艦頭が上向きになる。 「なッ──? まさかトチローの怒りが艦に影響?!」 「馬鹿言ってンじゃないハーロック! これは異空間突風だ。もっとも、正確 には突風ではなくワープの座標位置の誤差による次元の歪みが一時的に 4次元から3次元空間に干渉することによって起こる──」 「トチロー! そんなこと言ってる場合じゃ──ない!!」 ぎぎぎぎぎぃ。 艦は殆ど90度にまでバランスを崩した。重力に引かれて全員の体が扉の方へと投げ出される。広い艦橋。艦長席から扉まででも15メートルはある。このまま扉に激突するということは、すなわち、15メートル落下して地面に叩きつけられるのと同義なのだ。 「ひぇぇぇえぇ」 「くっ、ハーロック離せ! このままじゃお前が下敷きに!!」 「大丈夫! 俺頑丈だからこのまま掴まっててくれよ!!」 「クワーッ!!」 落ちていくヤッタラン。敏郎はハーロックが確保している。突然の縦横逆転に、 飛ぶタイミングを逃したトリ。 魔地は──一瞬で状況を判断する。かつて、たった一人を守り抜きたいと 願った熱い魂と共に封印した技術。 常時、体の随所に隠し持っている尖糸球。0から99までの種類と用途を持つ 魔地・アングレットのナイトスキル。 「尖糸零式!! 太い糸だが暴れるンじゃねぇぞクマとトリ!!」 尖糸零式は救命活動用の糸だ。凧糸程の太さだが、強度は通常の糸の一万倍。 その気になればクレーン車でも吊り上げられる。 素早く操舵輪を掴んで糸を放つ。あわや、扉を激突する寸前でヤッタランとトリは手首と羽を糸に巻かれて中空停止した。 ハーロックはそのまま扉で背中を強打する。「ぐぅ」と、くぐもった声が洩れたが、鍛えている彼なら問題はあるまい。精々肋骨に罅が入る程度だろう。命に別状がなければ良いのだ。 船体が完全に垂直になったところで、魔地は額の汗を拭った。 「──ひゅう。10年使ってねぇと鈍るもんだなぁ、やっぱり」 「た、助かったで機関長。この恩は一生忘れへん」 「クェェ……」 宙ぶらりんになっているクマとトリ。見下ろしてみると相当にマヌケだ。でも、 命を救ってやったのだから3億の話は無かったことにさせてやろう。彼らを引き上げてやりながら魔地はちゃっかり計算する。 「と、トチロー…大丈夫か……?」 「馬鹿野郎! 大丈夫じゃねぇのはお前だろ。無茶な体勢で抱き留めやがって ──この馬鹿!!」 転じて。打算も計算も存在しない友情を展開しているハーロックと敏郎。 一見すると猪突猛進型の学ラン少年の身を懸命に案じる女子中学生の様である。実にラブコメっぽいが、女子中学生こと敏郎の言葉遣いが悪いのでアウトだ。実にラブコメには相応しくない。 「魔地、さっさと船体を元に戻せ! このままじゃこいつをメディカルルーム にも運べねぇ」 敏郎は必死にハーロックの顔を押さえている。ハーロックは「大丈夫」と繰り返しつつも俯いたままだ。 「…──あいよ、OK」 ──さては額でも割ったか、と魔地は糸を投げて重力装置を解放する。 ふわりと軽くなる体。ヤッタランとトリも無重力状態で安定を取り戻す。 「さぁ、はよ船体直さなな。トリさん、手伝どうてな」 「クェーッ! チガ! チガ!!」 ばさばさとトリがハーロックの周りを飛び回る。成程、確かにハーロックの顔面周りには、小さな血玉が浮遊している。敏郎は彼の膝に乗り、セーラー服のリボンを解いて、しきりに彼の顔を拭ってやっている。 「あぁ、ハーロック。ハーロック。馬鹿だな、お前」 「何だよ、酷いのか。急ぐなら俺が救急キット持ってきてやるけど」 敏郎の肩越しに覗き込む。ふわ、と鼻先を掠める鮮血の玉。──久しぶりの、血の臭い。 「──ッシュ」 血に濡れた手が魔地の腕を掴む。片腕に敏郎を守るように抱いて、ハーロックがゆっくりと顔を上げた。 「ごめん、鼻血出ひゃった……ティッフュ持ってきて」 彫像のように美しいハーロックの顔。今も微笑む大きな鳶色の瞳。高く整った鼻梁。紛れもなく──鼻血が、垂れている。 「トチローのセーラーで鼻血垂れたンかお前──ッ!!」 魔地はすぺーんとハーロックの頭をド突いた。辺り一面に血玉が飛び散る。 「よせ」と敏郎がハーロックの頭を庇った。 「違う、こいつが馬鹿な受け方したから──。俺を庇って、俺の頭で鼻ぶつけ やがって……!!」 「そんなに必死になるこたァなかろうに。鼻血なんて大したことねぇぞ」 「だけど、こいつが鼻血出したことなんか一度も! 今の衝撃で頭に障害を 負ったのかも……ヤッタラン、体勢を立て直したら針路を医療惑星『メディ カル』へ」 「ほーい、船体通常姿勢へ。重力場、無重力から『地球レベル』へ。ぽちっと な」 無重力の艦橋を泳ぎ、ヤッタランがパネルを操作する。ほどなくして、体に重さが戻ってきた。縦横が90度回転する。魔地はすとんと床に降り立った。 「あーぁ、敏郎。お前ってハーロックのことになると途端に心配性なのな」 涙さえ浮かべて、敏郎はハーロックの鼻先に広げたリボンを押し付けている。 ハーロックはそんな親友の小さな体を、大きな掌で撫でている。 ──まるでお姫様と騎士様みたいなのな。 魔地は目を細めた。10年前、人知れず見続けた夢。今はもう、叶わない夢。そして──二度とは見られない夢。魔地の姫君は叡智の使徒。叡智の女神。 女神の子宮。もう戻らないし、戻れないのだ。 ふと視線を落とすと、漆黒の床に映るナース姿の自分。 ──やっぱり、ちょっと滑稽だな。魔地は、ふ、と笑みを洩らした。 ★★★ 「ハーロック。鼻血、止まったか……?」 「ん、もう平気だ。トチロー、泣くな」 ハーロックは優しく敏郎の涙を拭ってやった。自分の痛みには強いくせに、彼はこんな他愛もない血で涙を流す。ホントに大したことないのになぁ、と苦笑すると、「馬鹿」と小さな親友はハーロックの指先についた血液を拭った。 「普段鼻血出さない奴が急に出すのは危ねぇんだぞ。こういうのは油断してる と、ぽっくりイッちまうことだって」 「うーん、そりゃ怖いなぁ。ヤッタラン、取り敢えず周囲を警戒。異空間突風 ってことは近くにアルカディア級の戦艦がワープしてきたってことだもの。 敵船だったら困るからな」 「ハーロック! お前は鼻血を甘く見ているど!!」 「トチローはん、心配しすぎや。ジュニア、鼻血止まったんか?」 ヤッタランが操舵輪を握る。鼻先を拭ってみると、血は殆ど止まっていた。 「ん、平気みたいだ。トチロー、もう止まったよ大丈夫」 「だが──…」 膝の上に乗っている敏郎。靴下が三つ折りになっているのに今気付いた。結構 凝った着こなしをしている小さな親友。この律儀さがたまらない。ハーロックはそっと敏郎を抱き締めた。 「『メディカル』には一応行くさ。頭打ったしな。あーぁ、この艦にも医者 いるよなぁ。医者。Drジャック・クロウヴァ、誰か紹介してくれないか なぁ」 「……そうだなぁ、医療器具も揃えんとなぁ。Dブロックを丸ごと医療用の スペースに改造するか。怪我するたびに『メディカル』行ってちゃ不経済だ しな」 敏郎が顎を擦って思案に暮れる。薄栗色の小さな頭が、ハーロックの胸に押し付けられた。彼がどこかを傷めた様子はない。ハーロックは安堵して全身の 力を抜く。──敏郎が傷付かなかったのなら、それで良いのだ。 「──…あ……」 途端に、流れ出てくる鼻血。思い切り敏郎の頭にぶつかったのだ。どこか大きな血管を傷つけたのかもしれない。色が信じられないほど鮮やかだ。 「トチロー……ごめんまだ止まらない……」 「あぁ! もう!! 言わんこっちゃないぜ。この馬鹿!」 敏郎が身を乗り出してくる。小さな膝が太腿に体重をかけてきて、不安定な ことこの上ない。ハーロックは慌てて敏郎の腰に手を回し、彼の体を支えてやった。 「と、トチロー、トチロー。この体勢ヤバい──って」 「何がヤバいだ。男の鼻血なぁ、侮れねぇんだど。しかもお前は出血し慣れて ねぇしな。指先も冷たいど。あぁ、こりゃ冷やしといた方が良いかもなぁ。 魔地、ちょっと厨房行って氷取ってきてくれよ」 「はいよー。お、ヤッタラン、この艦クイーンエメラルダスじゃねぇ? アルカディア号の真下。でっかい飛行船みたいなの」 魔地が行きがけにレーダー盤をちょいと覗いて、中央の巨大スクリーンに転写する。 真紅の戦旗を掲げる戦艦──間違いなくクイーンエメラルダス号だ。ミーメを 送り届けに来てくれたのか。それならば、ワープの座標を外したのは間違いなくこの艦の主の仕業である。 粗忽者め──敏郎が珍しく眉根を寄せた。 「ヤッタラン、通信回路開け。おいエメラルダス! このお転婆姫が。 ワープの座標計算くらいきちんとやりな!!」 無人のスクリーンに向かって大声を出す。ほどなくして、「申し訳ありませんでした」と映像と共に静かなアルトが返ってきた。 『動いている戦艦を捕捉してのワープというのは、案外に難しいものですね。 トチロー』 背中まで流れる豊かな緋色の髪。深緑の眼差し。真紅の気密服と同じ色の唇には穏やかな笑みが張り付いている。 女海賊──エメラルダス。宇宙の魔女とまで呼ばれる彼女は、ぞっとするほどに美しい。瞳には少年のような輝きが満ちているのに、表情は確かに女なのだ。 妖艶でいながらして、どの女よりも清廉。相反する2つの表情が彼女には不自然なく宿っている。 「案外難しいものですね、じゃねぇだろが。全く、だから女の動かす戦艦って モノは信用出来ない。そもそも女が戦艦動かすなんて100年早いんだよ」 敏郎は魔女にも容赦がない。もっとも、エメラルダスは彼に身も心も捧げる 勢いで恋しているので、男尊女卑丸出しの封建的な言葉さえ微笑混じりに 聞き惚れている。本来ならばこんなこと、男に言わせておくような女ではないのだが。 『貴方がそう仰有るのであれば、私は100年でも精進しましょう。けれど、 今は愛する人にお久しぶりと言うことをお許し下さい』 スクリーンに薔薇の美貌がアップに映る。頬に一筋の傷さえなければ完全に左右対称だ。しかし、つ、と細い眉が怪訝な形に歪められる。 『……トチロー? その姿は一体……?』 1000年の冬に閉ざされた惑星『ラーメタル』の聖なる鉱石エメラルーダ。炎の輝きを秘めた石の名を持つ彼女の心は、燃えさかる焔そのものに激しい。 愛するときも──怒れるときも。エメラルダスの視線が、確りとハーロックの腕の中にいる敏郎に定められた。セーラ服姿で男の膝の上にいる敏郎に。 『……座興でもなさっていたのですか? 誇り高い貴方が、そのような姿に』 ちろりと艦橋を見渡して。敏郎の頭越し、更に強い目つきで睨んでくる宇宙の魔女。──明らかに原因をハーロックに見いだそうとしている、敵意に満ちた眼。 「え、エメラルダス。あのな、これは機関長が──」 ハーロックは慌てて手を振った。鼻血が止まっていないのがいかにもマヌケだ。事の言い出しっぺを捕まえようとすると、魔地はさらりと体を引く。 「あーぁ、いっけね。氷だっけか。氷持って来ねぇとな。鼻血には冷やすのが 一番って知ってたか? おめーら」 頭を掻き掻き素早く扉の向こうに消えてしまう。こんな時だけ身のこなしが 素早い。「違うんだ」敏郎が立ち上がった。 「エメラルダスよ。お前は何か勘違いをしているど。そもそもこれは男の誇り を賭けた戦いであって、つまらない座興では断じてない──」 『──…良いのですトチロー。わかっています』 すぅ、とエメラルダスが顔を引いた。彼女の背後ではミーメが呑気に紙袋を抱えてこちらに乗り移る準備をしている。──一彼女に便乗して来る気だ。ハーロックは全身が嫌な予感で総毛立つのを感じた。 「ち、違うんやでエメラルダスはん。これは別にジュ、いやキャプテンの せいでは」 『黙りなさい副長。この私の名を気安く呼んでも良い男はこの世に1人です。 本当は2人いたのですがね、ハーロック! 親友に女装をさせ、なおかつ 鼻血を垂らして情欲を発露させる男など言語道断!! 私はもはや貴方を友 とは思いませんよ』 速やかにトチローから離れなさい──と凄むエメラルダス。怖い。怒れる真紅の宝石は相当に怖い。 「エメラルダス! 誤解だ。お前はどうして人の話をきちんと最後まで聞かな いのだ!!」 敏郎が懸命に庇ってくれている。否、真実を懸命に伝えようとしているのか。 彼は彼とて女装の言い訳に必死なのだ。このままでは親友の異常性癖の充足を強要された哀れな丸顔チビになってしまう。 『いいえトチロー。いくら聡明な貴方の弁明も、この男を庇いきることは 出来ませんよ。貴方の恥辱は私の恥辱。汚名は必ず雪ぎましょう。ハー ロック、私と戦いなさい』 しかしエメラルダスの表情は穏やかだった。──聞いていない。愛しい男の 言葉さえ、今は彼女の脳に届いていない。 「お、おい早まるなよエメラルダス。大体女装っていうなら魔地だって──」 『──言いたいことがあるのなら、そのサーベルで語りなさい!!』 画面に叩きつけられた革手袋。ぶつん、とそのまま通信が切れる。静まりかえった艦橋に、暫しスクリーンからのノイズだけが響いた。 「……エメラルダスはん、来るで」 ぽつりとヤッタランが呟いた。誤解なのにな、と敏郎がハーロックの鼻にティッシュを詰めてくれる。 「手袋投げつけられちゃあもう後戻りは出来ねぇな。ハーロック、こうなれば」 「な、何だよ。ちゃんと彼女を説得してくれるんだよな、トチロー」 ──エメラルダスと決闘など、冗談ではない。女と剣を交えたくないとか、 そういう高尚な理由ではない。彼女は強いのだ。とてもじゃないが手加減 出来るような相手ではない。 「いくら何でも鼻血出しながらじゃ勝てないぞ。しかも俺は欲情なんかしてな いってば。そりゃ、確かにちょっとは可愛いなって思ったけど」 「ハーロック、一緒に風呂でも何でも入ってやるから」 敏郎の眼差しに慈愛が満ちる。こつこつこつ、と背後に重力ブーツの足音が。 「……必ず生きて勝ってこいよ」 「──…!! い、生きてって……トチロー、何だよその優しい瞳!!」 じり、と一歩後ずさる。と、同時に背後で扉の開く気配。 「……男なら、逃げずに剣を抜きなさい」 耳元を掠めた低音。背中にサーベルの切っ先が当たっている。 「だから俺のせいじゃないってのにーッ!!」 メディカルへ向かうアルカディア号に、ハーロックの絶叫がこだました。 END |
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●珍しくハーロックが気の毒なお話。……鼻血。男の人の鼻血は命に関わる事もあるので、皆さん鼻血を出した男の人には優しくしてあげましょう。いや、マジですよ。 ●お題、ちゃんとクリアー出来ているでしょうか……(汗)。何やら微妙なお応えっぷりでスミマセン。でも本当にリクエストを頂けるのは管理人にとって大きな喜びです。もんぷち様、リクエストありがとうございました! |
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