慕。・4



──そうして、暫くの歳月が流れた。



☆☆☆


『久しいな。零よ』


地球運行上での訓練航海の途中、突然に入った見知らぬ艦からの通信。


「ハーロック……か?」


メインデッキ上部に取り付けられた巨大スクリーンに映るのは、ハーロック。
喪服のような漆黒の衣装。右目には眼帯。かつて見た少年の面影は既に無い。

思わず誰何したのは、彼が身に纏うその気配がまるで変質していたせい。
恒星の輝きは闇に呑まれ、鳶色の瞳の奧に粘り着くような闇が見える。


『ハーロック以外の誰に見えると言うんだ? 零』


彼の胸には髑髏の紋章。背後に見える操舵輪にも、艦長席にも印がある。何より、別のモニタが捉えている艦ではためくのは、黒地に髑髏を染め抜いた──あの旗だ。


自由と、誇りを掲げる髑髏の戦旗。けれど、俺の目には不吉な死神の証に見える。
俺は、こくり、と喉を鳴らし、モニタ越しに彼の周囲を観察する。



何の所為だ?


誰の所為だ?


何が足りない?


誰が足りない?



お前の半身は──?



「……右目はどうした」


『親友にくれてやったよ。ヘヴィー・メルダーでな』


ハーロックが、にや、と口元をつり上げる。軋むような微笑。「移植でもして
やったのか」と問うと、「そんな役になど立つものか」とますます嗤う。


『昔、爆弾の破片が掠ってな。どうせ、いつかは見えなくなる右目だったのさ』


「サイバー・アイを、入れる筈ではなかったのか」


俺がサルマタケ星を訪れたあの日。暗い部屋で床につきながらトチローが造っていたのは彼の右目ではなかったのか。


『……あいつの造ったもの以外を、この身に入れてやるつもりなどない』


「──…死んだのか」


沈黙。彼の親友の命が幾ばくも無いことを、俺は知っていた。
“エルダ”、叡智の女神に愛された20人。17番目の男。──死んだのだ。
あの日から、そう遠くなく、彼は安息の日を迎えたのか。それは、安らかな最期だったのだろうか。

あの夜、彼は微笑んでいた。親友の帰りを待ちながら、夕餉の仕度をしながら
──深い病に侵されながら。


「だが、艦の形態が変わっている。完成に間に合ったのか」


『この艦の名はアルカディア。理想郷と言う意味だ。あいつはこれの完成の
 為に命を削ったようなもの。理想郷の名を持ちながら、この艦はあいつの
 柩にも等しい。今日お前のところに来たのは、この艦のお披露目と──
 永別の挨拶にな』


「永別?」


『俺は無限軌道に出る。大テクノロジアよりも遥か先、銀河鉄道でしか辿り
 着けぬ宇宙の果てへ征く』


「無限軌道……!! 自殺行為だ」


背後で副長補佐・石倉静夫が声を上げる。無限軌道──それは、未だ人智の及ばぬ外宇宙。宇宙図の存在せぬ魔境である。

確かに──自殺行為だ。それも“エルダ”の頭脳無しでは。「狂ったのか」と問えば、「全くの正気さ」とハーロックは応える。


『求めるものがそこにしかないというだけのことだ。たとえば俺が楽人である 
 なら、冥界の底に辿り着き、冥王の心を動かすまで竪琴をかき鳴らすのだが
 ──俺は海賊。奪われたものならば取り返すまでだ。たとえ煉獄を打ち破り、
 地獄を更なる業火で焼き付くすことになっても』


「……あれは天命だろう。病だったのだ。医療惑星『メディカル』の
 マスター・Drでも癒せぬ不治の病で」


『知っていたのか』


「あぁ──すまん。口止めを、されてな。俺もそれが正しいことのように
 思えたのだ。虚偽を口にすることは、俺の信念ではなかったが」


俺は艦長帽のつばを傾けた。知らなければ、近く確実に訪れる別れを指折り数えずに済む。敏郎は友の為に何も打ち明けぬまま逝こうと決めたのだ。それは、俺が俺の正義で口を出すべきことではないように思えた。だから、俺は口を噤んで。


『あいつも罪な頼み事をするものだな。真面目なお前のことだ。深刻に悩んだ
 ろう』


すまなかった、とハーロックが詫びる。表情が変わらない。何の感情も、感慨もなく、言葉だけがモニタの表面を滑っていく。まるで抜け殻だ。現実感を伴わぬ、空虚な存在。本当にこれが、俺の知る男なのか。


「ハーロックよ。お前の友は──」


『用件というのはそれだけだ。俺は去る。零よ、あいつは地球を愛していた。
 たとえ地表に住む者達全ての心根が腐りきろうと、この星が好きだと言って
 いた。お前に出会えて嬉しかったのは、本当はあいつの方なのだ』


護ってやってくれ、どうか。そう言って、ハーロックが背を向ける。艦内は喪に服しているのか妙に静かだ。誰も物を言わぬ。光量が低い。カーローンの舟だ。

此岸から彼岸へと往く舟だ。「待て」と俺は艦長席から身を乗り出す。


「本当に行く気なのか。何を求めて征くつもりなのだ。友と誓った理想の為か。
 何故奪われたなどと表現する。トチローはどうした。病で逝ったのではない
 のか」


『──宇宙病は、特殊な病だとDrクロウヴァから聞かされた。“エルダ”が
 長く宇宙を放浪すれば、逃れるべくもない病だと。救いたければ、どこか
 小さな無人の星でも買って、そこに永住させる他に手だてがないと。随分
 探したよ。結局、造ってしまった方が早かったくらいにな。四畳半の小さな
 楽園。完成する前から、命を賭けて守り抜こうと決めていた」


「………知って……いたのか………」


ハーロックの背中。応えがなくとも、それ以上に雄弁な背。──知っていたのだ。



 
例えば、近く死に到る者がいるとして、それを隠すための嘘は過ちか? 
 そして、それを知りながら、なお傍で笑っていてやる者は非道かね。



不意に、クロウヴァの言葉が脳裏をよぎる。答えの出よう筈もない問い。
彼らのことだったのか、と今になって気付く。

真実は痛い。現実は厳しく、容赦の無いもの。相手を想うが故の嘘を、
彼らはずっとつき続けてきたのだ。何よりも信じ合い、想い合っていながら、
彼らは互いを欺き続け。

くらり、と軽く視界が歪む。真実を告げぬことの、何と優しいことか醜いことか。


誤っている。そう、思う。けれど、何がどう誤っているのかがわからない。けれど、確実に歪んでいる。


「……取り戻すとは、どういう意味だ。死者は戻らん。この宇宙ですら、
 その事実は覆らんのだ。そうでなければ、誰も悔やむことはない。誰も
 死者を夢に見ることはない。Drジャック・クロウヴァでさえ、その理から
 抜け出せないのだぞ。人は──記憶を昇華させなければならんのだ。愛した
 ことを力に、進んで往く以外にはないのだ。俺は、亡き妻に相応しいよう
 生きると決めた。 いつまでも、彼女の愛に相応しいように。それが死者を
 想うということだろう。それを教えてくれたのは、お前達だったのだ
 ぞ──?」


『記憶を“消化”させてなど──俺は生きたくないのでな』


ハーロックが、振り返る。俺は、言葉を失う。


笑みの形が、歪んでいる。


ずっと──笑ってきたのだろう。ただ一人の友の為に。
完成された歯車のような精密さで。聡明な彼に気取られぬように。


永別の日を指折り数え、引き留めず、縋らずに生きて。


それが崩れたのだ、と俺は思う。たった一個の歯車を亡くして、跡形もなく崩壊したのだ。敏郎を喪って、この男は亡くしたのだ。


心を許した親友も。右目の光も。魂を導く、指針さえ。


「……無限軌道に、何があるというのだ」


『……何も無いかもな。ただ無限に闇の広がる場所なのかもしれん』


「以前のお前は、そんな風ではなかったろう」


『以前からこうだったのさ。ただ、お前が気付かなかっただけだろう』


「トチローの所為か」


『あいつの為さ。この宇宙の誰よりも強くなることさえ、途中からはあいつの
 夢の為』


「そんなにも想っているのか」


『そうだ』


「そんなにも愛したのか」


『このハーロックが欲する物はその一つだけ』


「取り戻せる道理などないのだぞ」


『取り戻せない道理もない』


──頑迷な。きゅ、と俺は拳を握る。ハーロックと俺の性質の何と近しいことか。
けれど、違う。決定的に違う。人を愛する心が、死者を想う気持ちが違う。
俺の言葉など──彼には届かぬのだ。


「……お前の友は、笑っていたぞ。お前を待っててやれると思えば怖くはない
 と、そう言っていたのだぞ」


呟いて、軽い自己嫌悪に囚われる。──それが何の慰めになるというのだ。彼の心は俺よりも熱く、俺よりも昏い。
彼の心に差し込んでいた光は、もうとうに亡いのだ。彼の笑顔の全ては、あの小さな親友の為にあったのだ。

そんな風に、想っていたのだ。大山敏郎という男を──この男は。


「本当に征くのか」


『征くさ』


「帰れずとも良いのか」


『帰れぬのなら、それでも良いさ。それだけ、あいつに近付けるだろう』


ハーロックの眼差しが緩む。その瞬間だけは穏やかな笑みで。
まるでそれが至上の幸福であるかのように。


『俺は征く──。もう二度と会うこともないだろうな、零』


「ハーロック!」


モニタが、暗転する。一方的に通信が途切れる。「追いましょう!」と石倉が叫んだ。


「艦長! ハーロックを捕らえるチャンスですよ。このまま彼らを追うことを
 具申致します!!」


「いや……追わん。征かせてやれ」


「しかし──!!」


「……征かせて、やれ」


艦外モニタには、去りゆくアルカディア。髑髏の旗が、遠く──遠く。



あれは、カーローンの舟なのだ。此岸から、彼岸へ。死者の魂を冥界へと運ぶ、死神の舟。



「今のあいつには……俺達など見えていないのだ」


恐らくは永遠の隧道と化した右目のように。彼の瞳には虚しか見えない。


「追っても無駄だ。それに、あの艦の装備は『火龍』よりも遥かに上。
 やり合えばこの艦を失うことになる。艦長として、クルーをそのような
 危険に晒すわけにはいかない。進路そのまま、航海訓練を続ける」


「けれど──…!!」


「石倉、命令を復唱しろ」


艦長席から、彼を睨む。石倉は小さく肩をすくめた。


「……進路そのまま、航海訓練を続けます」


小声で俺の命令を復唱し、自分の席に着く。俺は溜息を一つ落とした。


「良いのでしょうか。無限軌道に赴いて、生きて戻ってきた船乗りはいません」


副長・マリーナ・沖が躊躇いがちに俺を見上げる。


「やむを得んさ。死者の声は──生きている者が自分で聴き取るより他にない。
 俺にも経験のあることだが」


繰り返しみた妻の夢。彼女が誰よりも優しく、気高く、俺を想っていてくれたことを思い出すまで、俺は胸を抉られて。

その痛みが、自傷であることに気付くまで。


「あいつもいずれ、思い出すだろう。いや、思い出さなくてはならないのだ」



彼の友の為に。誰より──何よりも慕うのならば。



此岸から彼岸へ。彼岸から此岸へ。暗く、どこまでも続くかと思われる冥界の隧道を通り抜けて。



「そうでなければ、一体誰が救われる?」






やがて、遠ざかる艦は星の無い海へと消えた。














END







●ハ−ロック兄さん暗黒期。しかしゼロやんが出ると時間軸が狂うなぁ。いっそゼロやん部屋でも作ってしまうかと思う今日この頃。オチが弱いという弱点は未だ克服出来てません(泣)。トチローがいないとハ−ロックは実は根暗でしたって話。



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