慕。・3





☆☆☆


「──月が、出ているな」


地球時間・午後10時──。
紺色の空にぽっかりと浮かんだ満月を眺めて、俺はぽつりと呟いた。


「ここは、太陽系から遠く離れた人工惑星であるはずなのに」


「この星のどこかに映写機があるんだよ。それで、この星の上空に浮遊して
 いる胞子の雲に映してるんだ。俺はそんなに好きじゃないけど、トチローは
 地球が好きでね。それで、こんな遊びをする」


ハーロックが茶碗に注いだ酒を一気に飲み干す。飲み始めて既に2時間が経過
しているが、この男は酔う兆候が全く見られない。


「月を映して、地球にいる気分を味わっているのか? 随分とセンチメンタル
 なんだな。彼は」


俺は手酌で自分の碗に酒を注いだ。自分で持ってきた酒だ。ちびりちびりと飲んでいたが、これが最後だ。


「うん。トチローは結構センチなんだよな。クールなんだけど優しくて。
 素っ気なく見えるけど、情にもろくて。俺のかけがえない親友なんだ」


ハーロックが立ち上がり、押入れの奧から数本の酒瓶とするめを抱えて戻って
くる。敏郎が用意してくれた肴は美味かったが、いかんせん量が少なかった。
最初の2杯目で皿は空になり、以降は石油ストーブの上に乗せたスルメや乾燥芋などを肴に飲んでいる。古典的ではあるが、嫌いじゃない。


「料理も上手いしな。全く、お前さんの友人にしておくには惜しい」


ゲソを一囓り。俺が言ってやると「余計なお世話」とハーロックが唇を突き出してくる。


「そんなの俺だって思ってるさ。何てったって“エルダ”だし、造艦の
 プロだしね。俺の夢は宇宙最強の男になることだけど、トチローがいな
 かったら10年は達成が遅れるな」


「トチローはお前にとって不可欠な存在であるということか」


──だが。危うく続けかけた言葉を呑み込む。ハーロックの言葉通り、
“エルダ”の力なくしては宇宙最強の夢など到底見られるものではない。


「“エルダ”を手に入れるということは、巨大国家の君主になったも同然
 だと言うからな。地球連邦政府に属する俺としては、彼の力、是非とも
 地球復興のために尽くしてもらいたかったが」


「……何だよ、変な過去形。たかった、って、何だよ」


ハーロックが眼差しをきつくする。俺は慌てて両手を振った。


「別に他意はないのだ。ただ、彼がこの先地球のためだけに尽くすことなど
 ないと思ってな。大変に惜しいことだが──彼は地球政府に登録されて
 おらんのでな。今じゃタイタン政府も所有権を主張していると言うが
 ……」


「所有権か──地球政府も、タイタン政府も、言うことは昔から変わらないね。
 だから嫌いなんだよ。国家権力は」


不愉快そうにハーロックが呟く。“エルダ”を巡る抗争は、今でも国家星間に
多くあるという。

たった一人の知的生命体のために、数万、数億の命が奪われるのだ。そんな
存在と旅を続けるのは、きっと生半可なことではなかったろう。敏郎は勿論、
ハーロックもまた、自らの血と、それ以上に多くの血を流すことになったに違いない。

だからこその絆なのだ。俺は、ハーロックの手からバーボンの瓶を取って口をつけた。


「嫌いか、国家や、政府が。だが、自らの力で戦えない者を護るのは、国家や
 政府の力だ。お前は──自分の身くらい自分で守れと言うかもしれんが、
 それが出来ない者は確実にいる。俺は、そんなに捨てたモンじゃないと思う
 がな」


「ちぇ、トチローと同じこと言ってるよ。トチローはさぁ、優しいからね。
 自分より弱い者には、優しくしてやれって言うよ。小さくて、卑怯なこと
 でもしないと自分を守れない奴を、可哀相だから許してやれって言うんだ」


「ほう、それは慈悲深い。やはり、お前と違ってトチローは賢者だな。
 さすがは叡智の使徒」


「──…その言い方、止めろよ」


ハーロックが俺から瓶を奪った。喉を反らせて一気に瓶の半分ほどあおり、
けふ、と酒臭い息を吐く。
 

「エーチの使徒とか、“エルダ”とか、そんなの、トチローが良い奴だって
 ことには全然関係ないんだからな。トチローは、ただフツーよりもちょっと
 頭が良いだけ。戦艦や武器を造るのが上手なだけ。俺は──…ずっとそう
 思ってきたのに」


「他の者はそう思うまい。そもそも、無情の女神に愛された者達だ。その
 類まれなる叡智ゆえに、絶対零度の心を持つという。己の探求心さえ全う
 出来れば、星一つ、銀河系一つ無に還すのも躊躇わんという。誰を愛する
 ことも、何かに想い入れることもない。それが叡智の使徒“エルダ”だと」


「だから、その言い方止めろって言ってるだろ!!」


ばん、と乱暴にハーロックが窓の縁を叩く。瞬間、大気が震えた。


「その下らない肩書きや思い込みのせいで、あいつがどれだけ傷つけられたか
 ──裏切られたか! それでもトチローが“エルダ”であることを放棄しな
 かったのは……この宇宙の」


鳶色の瞳に涙が浮かぶ。宇宙最強の海賊が流す涙は、まだ少年のそれそのもので。


──ひたすらに友を想う、ただそれだけの純粋な涙。


俺は、躊躇いがちにハーロックの頭を抱き寄せた。泣き上戸なのか、と少し
思う。ぐす、と鼻をすすり、ハーロックが俺の腕を振り解く。


「ちょっと──タンマ」


涙を拭って立ち上がる。ハーロックが、静かに隣の部屋とを隔てる壁に耳を押し付けた。


「? どうした?」


「──ん、少し黙っててくれ」


俺は言われた通りに口をつぐんだ。人工月の光を楽しむために、部屋には電灯すら点けてはいない。闇夜に──静寂が満ちた。


「やっぱり、トチローの奴全然寝てない」


呟いて。ハーロックは壁を、どん、と一度叩いた。数秒の沈黙後、とん、と
控えめな音が戻ってくる。


「今ので起きたんじゃないのか。伏せっている人間の部屋にそんな乱暴な音を
 立てては」


「いーや、寝てないね。さっきから咳もしてるみたいだし。全く、布団の中
 でも作業しようとするクセは直らないな。こういうのをワーカーホリック
 って言うんだ。そうだろ?」


どん、ともう一度壁を叩き、ハーロックが小走りで隣室に向かった。俺は暫し
の間逡巡し、彼のあとを追うことにする。

出歯亀みたいで気が引けるが、別段、恋人同士の部屋を邪魔するわけではない。

ドアの前で待っていれば良かろうと、俺は音を立てぬよう廊下に出た。



☆☆☆


──隣室のドアは、覗くまでも聞き耳を立てるまもなく開いていた。


「トチロー! 寝てろって言っただろ。病気の時くらい親友の忠告を聞けよ。
 一体何やってるんだ」


ハーロックの言葉通り、トチローは布団の中で枕に肘をつき、何やら細かな
機械をいじくっていたようだ。電灯も点けず、ただ人工月の光だけで。


「──いや。お前、5年くらい前の戦闘で右目を悪くしてたろう。成長期も
 過ぎた頃だし、そろそろ左目の視力に合わせてサイバーアイを造らないとな。
 そう思ったら──…善は急げと」


「急がば回れって諺、知らないとは言わせないぞ! こいつ!!」


布団の中で笑うトチローの頬を、ハーロックは両手で包み込む。それはいささか
力がこもり、くにゅ、と彼の顔を崩した。


「ぶふ、やめれやめれ。ブサイクになっとる」


「良いだろ別に! どうせ俺しか見てないよ。いつも通りのタヌキ顔だよ。
 っていうか、薬飲めよ! 冷めてるだろーが白湯!!」


枕元に置いてある湯飲みを取り上げて眦をつり上げるハーロック。トチローは悪びれることなくそっぽを向いた。


「猫舌なんだよ。もの凄い」


「嘘言うな! 聞いたことないぞそんな話。苦くないから、ちゃんと飲め!!」


そう言うが早いか、ハーロックは薬袋から数種類のカプセル剤を取り出し、湯飲みをトチローの手に押し付ける。


「はい、2錠ずつ飲むんだよ。赤も、青も、黄色も飲みなさい。水は多めに
 飲むのが良いって、Drジャック・クロウヴァが」


──Drジャック・クロウヴァ。機械化人にして、医療惑星『メディカル』の中心人物。4番目の“エルダ”。


『火龍』のメイン・ドクターであるドクトル・マシンナーの師で、実際年齢100を超える、もはや伝説的人物である。そんな人物とまで面識があるのか、と、俺はハーロックの人脈に感嘆する。
否、“エルダ”繋がりで敏郎の知り合いだろうか。どちらにしろ、信じられない
交友関係だ。

うるさいな、とトチローが、ざらざらとカプセルを口に放り込む。


「あんなジジイの言うことなんか当てにするなよ。しかも、何だよ。
 普通の風邪薬貰って来いって言ったのに、この量は」


「知らない。俺、風邪引いたことないし。薬なんてみんなこのくらい飲むモン
 なんだろ」


「この馬鹿。馬鹿は風邪引かねーってのは本当だな」


トチローの笑う気配。彼の姿はハーロックの腕と布団に隠れて見えないが、
ハーロックの頬をつねる小さな手は、ちらりと見える。ハーロックが、
きゅ、と敏郎の後頭部に手を回した。


「痛ててて。馬鹿はないだろ。ちゃんと薬貰ってきてさぁ、お土産も忘れない
 親友さまに」


「お土産ったって、盗品じゃねぇかよ。しかも女物ばっか」


「トチローには、淡い色が似合うからね。白や、薄緑や」


ハーロックの手が、畳に広げられていた上掛けを取る。絹で織られた、
極上の着物。包まれて、敏郎が自らの夜着の襟をつまむ。


「薄緑じゃなくて、この寝間着は青磁色って言うんだぜ」


「んー、憶えとく。セージ色だな」


人工月の光の下、影が優しく重なり合う。ハーロックはもう一度敏郎を
抱き締め、優しく離した。


「おやすみ、良い夢を。眠らなくても良いから、温かくして」


「温かくしたいなら俺にも酒をくれよ。酒。二人だけでずるいど」


敏郎が、去り際のハーロックの指を掴む。ハーロックは膝を折り、
彼の頭頂にキスを一つした。


「駄目です。咳してたくせに酒なんて。治りが遅くなるよ」


「ちぇ。心配症め」


髪を撫でられて敏郎が首をすくめる。ハーロックはもう一度「おやすみ」と
言って廊下に出てきた。ぱたん、と後ろ手にドアを閉めて、ようやく俺の存在に気付く。


「何だよ零。出歯亀か?」


「気色の悪い言い方をするな。お前らは恋人同士か」


「真の友人っていうのは、恋人なんかよりも深い絆で結ばれてるんだよ。
  零って友達少ないだろ」


「余計なお世話だ。これでも士官学校では下級生の連中に「お兄様」と慕わ
 れていたのだぞ」


「それは友達って言わないじゃんか。しかもキモい。零ってひょっとしてホ」


「──モではないぞ。ちゃんと妻もいる」


俺は、懐から妻の写真の入った懐中レーダーを取り出して見せた。
ハーロックが凝っと彼女の写真を見つめる。


「──…あぁ、これが有名な。成程、確かに『火龍』の副長さんに似てるな。
 この儚そうな顔じゃなくしたらそっくりだ」


「儚そうか、俺の妻は」


「儚そうだねぇ、零の妻はさ。美人だもの。美人で綺麗な人って、儚くって
 怖いよな。トチローはそういうのをビジンハクメーって──」


言いかけて、ハーロックははっとしたように自らの口を塞ぐ。


「……ごめん、俺、ちょっとデリカシーなかった」


「構わないさ。確かに、美人薄命だったよ」


──俺の敗北が招いた死。気にするな、と笑いかけて、酷く口元が引きつるのを感じる。


家と、妻と、名前のない嬰児がこの世から消えた日。俺の敗北。
あの日から、上手く笑えない。

髪に触れ、指先に触れ、肩を抱いてやっていたら、こんな風にはならなかったのだろうか。恋人達よりも深い絆を持つというこの男達のように。


「でも、愛していたんだろ。大事だったんだろ。悲しいじゃないか。怒ったん 
 なら俺をブン殴っても良いけど」


愛していたのだ。確かに。これから長い年月をかけて、愛していこうと。
地球を守り抜くことが、彼女との未来を守ることでもあると。


「殴らないさ。彼女のことは、大切な記憶だ。忘れてはいけない。永劫、俺が
 抱いて歩かなくてはならない、大切な。その思い出のために、誰かを害そう
 とは思わんさ。悪気が無かったのなら良い」


「ふぅん、零って大人だな。気持ち悪いぞ」


ハーロックが両手を伸ばす。部屋に戻り、ガラスの無い窓から身を乗り出して。


「気持ち悪いとはどういうことだ? 寛大な気持ちでいてやっているのに」


「それが気持ち悪いじゃん。奥さんだろ。一生を連れ添うって約束した人だろ。
 思い出でも、大事にしろよ。俺なら──たとえ思い出でも、大切な人を愚弄
 する奴は害してやるよ。人生観の違いってヤツかな。これは」


「そうだろうさ。俺は、お前のように単細胞ではないからな」



いってらっしゃいませ、あなた。おかえりを、おまちしています──。



──彼女は、どんな気持ちでその言葉を。


俺はまだ栓の開いていないアンドロメダ・レッドバーボンの瓶を拾い上げた。


「さて、飲み直すとしよう。せっかく有給を使って来たのだからな。今夜は
 とことん飲ませてもらう」


「……それ、俺の秘蔵の酒なんですけど」


振り返り、じっとりとハーロックが俺を睨む。俺は、やはりぎこちなく笑った。














●3までじゃ終りませんでした……トホホ。4まで行きます。



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