Myth



☆☆☆

──それは、まだ宇宙が光に包まれていた頃の話。



一人の少女がいた。

少女は小さくたおやかで、何よりも愛らしく、誰よりも慈悲深い。
そして、後世に神と呼ばれる存在が造る全てのものに愛情をそそいだ。



少女は、まだ塵から生まれたばかりの無名の女神。

ただ、少女が持っていたものは、無限の耳と無限の眼。
少女はその耳と眼を、宇宙と呼ばれる世界の全てに凝らした。



父の造りし全ての命が、どれほど互いを愛し合うのかを知りたくて。

形の醜きも美しきも、全てが神の前に平等であるかを知りたくて。



けれど、無限の耳と眼に入ってきたものは、眩いばかりの光に包まれた世界と
煩いほどに騒ぎ立てる命の声。



それは誰も互いを想い合わず、

小さき差異で争い合い、

命を奪い合う生き物の姿と声。



少女は──無名の女神は悲鳴をあげた。生まれてほんの数秒で、
あらん限りの声をあげた。



それは絶望の声。嘆きの悲鳴。



少女はあまりにも純粋で、女神と呼ばれるには幼すぎて。



──愛されるべき命は愚かすぎた。



少女の声は神の世界を全て暗闇に覆い尽くした。
光さえも飲み込んで、世界は少女の耳と眼のように無限に
散った。



それは一つ一つ小さな球になり、寂しく離ればなれになった。

世界の全ては秩序を失い、縦も横もなくなって宇宙と呼ばれる
ようになった。



そうして、少女の姿はすっぽりと闇にくるまれる。
少女は無限の眼と耳を塞ぎ、命あるもの全てを呪った。




全ての鼓動よ、沈黙してしまえ!!




かくして、少女は命の絶望を糧として、するすると自らの躯を宇宙に広げた。

そして、無名の女神は暗黒の女王に。



やがては自らの胎内から、苦しみを伴う病と老いによる醜い死を産み出した。

彼女の呪いは瞬く間に広がり、誰も永遠を持たなくなった。



それから、彼女は呪いを更に広げるために、鋼鉄の心臓を持つ生き物を
産み出した。

彼らは全て母なる暗黒の女王に忠誠を誓い、命あるもの全てを憎み、
命あるものから全てを奪った。




なんという力。なんという呪い! 
私の娘はもはや命あるもの全ての敵だ!!




神は、前は愛しい娘であった暗黒女王のあまりの変化に驚いた。
彼女は父さえ凌ぐような力をもって、父の世界を暗闇に変えたのだ。

すぐさまに世界を光の中に戻し、暗黒女王を塵に戻そうとする神に、
女神の一人が進み出た。


表情を持たぬその女神の名はエルダ。万物の叡智を司る情無き女神。


彼女はその叡智ゆえ、父の前にすら膝を折らず、ただ現われて
こう言った。




父よ待て。
今や彼女は闇という秩序。彼女の呪いは世界を覆い、彼女の躯は無限となった。
彼女をたおせば、この世は釣り合わぬ天秤となろう。
塵に還るのは貴方の方だ。




情無き女神の言葉は真実。神は諦め、暗黒女王と対をなす光の女神を
造りだすに留めた。


光の女神は、今も宇宙の向こう側で天秤の釣り合いを取っている。


暗黒女王はエルダに大いなる感謝を捧げ、
エルダの寵愛をもって生まれてくる者達に闇という名の祝福を与えた。


闇の女神の抱擁を。


冷たく、そしてどこまでも深い抱擁を。


彼女の闇の中でなら、エルダの寵愛を受ける者全ての命は
老いもせず、苦痛を伴う病に苦しむこともなく。



ただ──ひどく冷たい闇の中に、ゆっくりと沈んでいくという死を。




これが私の感謝。これが私の祝福。
私を庇ってくれた貴女への愛の情。




暗黒女王はエルダに言った。それはそれは、とエルダは応える。




これがお前の感謝かダークイーンよ。
今、私はお前の名を呼んだ。このエルダが叡智の名の下に名前をつけた。
この時からお前は神ではない。ただの暗黒と虚無を司る者。
お前にもいずれ死というものが訪れよう。

このエルダは全てに平等。
このエルダは全てに無情。

私の寵愛を受ける者達全てが、お前という分銅を退け、
新たなる調和者を育てるだろう。

これで万事が平等。何ものもただ命を奪うことなど出来はしないのだ。
お前自身が死を恐れるのなら、全力で我が寵愛を受けし者を滅ぼすが良い。




エルダは自らの心臓を二十に裂いて、その血を父なる黄金にそそいだ。
その黄金は何よりも固く、叡智を持つ者を護る二十枚の金貨になった。


それは暗黒の宇宙に散って、無限の眼と耳を塞いだ暗黒女王には
もはや見つけられはしなくなった。


けれど、暗黒女王の祝福は癒えず。


叡智を持つ者は抱擁を受け続ける運命を持つ。


ただ──ひどく冷たい闇の中に、ゆっくりと沈んでいくという死。
『宇宙病』の名を持つ病の抱擁を。





☆☆☆


「トチロー、何読んでるの?」


「ん? お伽話だよ。神話ってやつ」


「ふぅん、珍しいんだな。お前がそんなの読むなんて」


「まぁ、俺でも時々読むことがあるんだよ。叡智の女神エルダの
 名前は、“エルダ”の元になった名前でもあるし」


「へぇ、そうなんだ」


「──…ったく、余計なことしやがるなぁ」


「ん? なんだよ。俺のこと?」


「いいや、何でもないよ」



──…全部、お伽話なんだから。














END







●宇宙病の起源。基本的にトチローはノンフィクションしか読みません。
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